デスクまわりというテーマで思い出す激務時代

今週のお題「デスクまわり」を見て、またまた苦い思い出がよみがえった。今でも、ワンオペ育児をしながら仕事をして、1~2年で全国を転勤して回るなんてギャグみたいな環境に身を置いているが、会社に勤めていた頃もそれはそれでひどかった。夜10時~の打ち合わせはザラで、深夜2時頃終わって同じく社畜の先輩と24時間営業の寿司屋でさく飯して帰るのが常だった。結婚して一人暮らしの家を出ることになった時、家の片づけを手伝いに来てくれた実母に6年前の醤油が見つかり怒られたことも今となっては懐かしい。

 

こんなズボラ&超激務会社員だったので、デスクまわりはひどいものだった。私と、机を並べる先輩のデスクの周りには書類が高く積まれていた。自分たちとしては何がどこにあるということはわかっていたが、きれい好きの上司によく怒られた。保護者会で学校に行ったとき子どものお道具箱の中を見ると、うわあ、と思うが、一方で親近感を覚える。

 

今のところ、家がある程度暮らせる状態に保たれているのは、1~2年で発生する引っ越しに追われながら、白目をむきながら行う断捨離という超荒業のおかげである。もう二度とやりたくないと毎回思うのだが、これがなくなったらどうなるのか。ミニマリストへの道は果てしなく遠い。

 

 

 

 

あの頃の子と私:ビデオカメラは必須

沸点の低くなる長期休み。このような時には、昔のビデオを見るに限る。

 

テディベアみたいなすわり姿。クリームパンみたいなむちむちの手や足。何度も口や手からこぼれ落ちる赤ちゃんボーロ。ついこの前まですぐそこにあったものが、必死で駆け抜けるうちにもう手が届かないものになってしまった。あの頃のビデオを見ると、かわいいなあ…という思いと、ここから数年でよくここまで成長したよなあ…という思いとで、少し心が洗われる気がする。

 

先日も心を落ち着けるため、ビデオを見ていたら、子どもがやってきた。「これ誰?」と聞くので、赤ちゃんだった時の●●だよ、と言うと、「そうじゃない、この喋ってるの、誰?」と聞く。

 

「母ちゃんですけど」と言っても、似てるけど違うとはじめは信じてもらえなかった。どうやら、赤ちゃん相手の猫なで声と、現在の、基本3度は無視されてからのドスのきいた声が違いすぎるらしい。うすうす自分でも思っていたが、衝撃だった。そして、少し反省した。

 

子どもが生まれるとなったら、買っておいて損はないもの第一位がビデオカメラだと思う。

育児に疲れた時にあの頃を思い出して元気をチャージするためにも、私だけかもしれないがこうやって初心にかえるためにも、何気ない毎日をビデオに残すことは、全力でおすすめしたい。

 

 

母の声

春休みが始まった。始まってほしくないのに、始まってしまった。夏休みのことを思えばまだましだ、と自分を慰めながら頑張っている。

 

小さなころは泣きながらトイレにもついてきたのに、今や母(私)の話は半分以上素通りである。何回か同じことを話しかけ、生返事を繰り返し聞き、「聞いてるの?!(怒)」となるというお決まりのパターンである。きょうだいともにこうなので、私の導火線もだんだん短くなりつつある。

 

しかしよく考えてみれば、自分もそうなのだ。母のことは好きだし、仲もいいと思う。自分が子供を持ってからは、母の苦労がわかり、ありがたいなと思う気持ちも増した。それでも、実家に帰ってぼーっとしている時などに母に何か話しかけられると、意図的ではなく、声が耳を通り過ぎて行ってしまうのだ。しかも、話しかけられたことによる反射的な行動で「うん」と言ってしまうからたちが悪い。結局、「うん」「うん」「うん?」「…何て?」と、自分の子どもと同じ状況になっている。母の苦労など知る由もなかった学生時代は、もっとひどかっただろう。

 

多分これは、小さい頃から、なんならおなかの中にいる頃から声を聞きすぎているがゆえに、波長に慣れすぎているために起こることなのではないか。

 

そう思いながら、自分の行いも振り返りながら、なんとか爆発に耐えつつ、新学期を心待ちにしている(母が)。

 

 

相棒20:冠城くん卒業

冠城亘の相棒が終わった。 ※多少、ネタバレなので嫌な方は読まないでください

 

前にも書いた通り、世の中のドラマで一番相棒が好きだ。私的推し相棒は神戸くん(ミッチー)なのだが、冠城くんの卒業はなんとしてもリアルタイムで見届けなければと必死で子どもを早く寝かした。

 

最初はどの相棒よりも右京さんとの間にピリッとした緊張感を感じた冠城くんが、ここまで右京さんと阿吽の呼吸になり、最後は右京さんのマイルールを破るあんな引き留めの言葉まであるとは、本当にアツい展開だった。車の中で、差し入れのおにぎりのどちらを食べるかを右京さんが選ぶシーンは、二人の重ねた月日を感じ、じーんとした。

 

もうシーズン20にもなるのに、マンネリ化するどころかますます面白くなっているのがすごい。相棒も、科捜研の女も、テレ朝のドラマが好きすぎてTELASAを契約しようか本気で悩んでいる。元が10倍以上取れることは確かなのだが、画面の前から動けなくなりそうで怖い。このブログの更新が滞ったら、TELASAを契約したと思っていただいて間違いないだろう。

 

 

小学生男子のリアル

もうすぐ小学生になられるお子さんもいらっしゃるだろう。我が家にも小学生男子がいるが、はっきりいって、パワーがすごい。予想の斜め上をはるかに超えてくる。子どもとして可愛いと思っていることは確かなのだが、最近ではヤツが学校からもうすぐ帰ってくる…と思うだけで軽く動悸がするほどである。習い事などで、ピシッとした小学生男子を見たこともあるので全員ではないらしいが、風呂上りに裸で楽しそうに踊っている彼を見ていると、まあこれはこれでよいのかもしれないという気はする。

 

帽子のゴムは付け替えてもすぐにビロビロになる。筆箱にはなぜか意味不明な落書きがされている。鉛筆は両削りになり無残に折られていたこともあり、一度はランドセルごと泥の中に半身突っ込んだようで、チョコバナナみたいになって帰ってきた。そして消しゴムは、新品を渡した次の日には穴が開けられるか顔が書かれ、刻まれている。人にやられているなら大ごとだが、すべて自らすすんで行っているのだから怖い。

 

小学生がいるご家庭では、工作に使うような牛乳パックやペットボトル、キッチンペーパーの芯などは一通り用意しておいたほうが良いが、鉛筆や消しゴムも売るほど用意しておいた方がいい。我が家も必ずまとめ買いして常備している。

 

 

 
春休みが近づき、あのパワフルな彼が一日中一緒だと思うと動悸がおさまらないが、無事に新学期を迎えられることを祈る(母が)。

 

 

 

推しは長くは続かない、かも

今週のお題「買いそろえたもの」を見てほろ苦い思い出がよみがえった。

 

下の子は、小さい頃からめちゃくちゃ着るものにうるさい。気に入らないと全く着ない。そして気に入るのは、たいていキャラクターものである。というわけで、上も下もキャラクター、柄on柄となってしまう。私も昔は、無地っぽい子ども服のほうが可愛いと思っていたし、柄on柄で歩いている子供を見ると親のセンスを疑ったものだ。しかし子を持ってみて思った。あれは大半が親のセンスではなく、子が自ら選んでいるのではないか。柄on柄を着ているだけで機嫌よくしてくれているのであれば、他に大変なことがたくさんあるのでもう服なんてどうでもよいというのが親の心理だろう。素敵な子ども服を着ているお子さんと並ぶとお育ちがでてしまっている感はあるが、元気で機嫌よくしているのであれば、好きなだけ着てくれと思っている。

 

そんな下の子なので、前回の更新でも触れた初めての「推し」トーマスにハマった時は面白いほどトーマスの服しか着なくなった。最初は全部トーマスに見える…と混乱していた私も、一緒に見るうち詳しくなり、トーマスの世界が好きになった。ちょうどユニクロなどで可愛いトーマスの服がたくさん出ていたのでその時のサイズを買い込み、来年もトーマスコラボがあるとは限らないし、と次のサイズまで買いそろえた。

 

タイムマシンがあったなら、その時の私の横に行ってささやきたい。「いつまでも 好きと思うな 子どもの推し(字余り)」

 

その後しばらくたち、訪れた従兄の家でカーズを見た下の子は、トーマスの「ト」の字も言わなくなってしまったのである。また大量の見分けられないキャラクターと新品のトーマスの服(来年サイズ)を前に、私が白目をむいたのは言うまでもない…。

 

 

そんなこんなで、子どもの服を先を見越して買いそろえるのはお勧めしない。小さい頃はサイズが読めないし、サイズが読めるようになっても好みが読めない。出されたものを素直に着るお子さんもいるだろうが、こんな子もいる。何かの参考となればうれしい。

 

 

 

「推し」図鑑の効能

元来心配性なもので、赤ちゃんから幼児まで息も絶え絶えワンオペ育児でたどり着くと、育てたはいいが、これから子どもにどうやって文字を教えたらよいのかということが急に不安になった。

 

色々なところで読み聞かせの効果については聞いていたので、赤ちゃんの頃から読み聞かせはやっていた。読むときには、文字を指で追うように意識していた。そのため、文字というものの存在は本人も自然に認識したと思う。そこから、文字をどうやって読めるようになるのか。自分についてはもちろんその過程の記憶はないし、ドリルのようなものをやらせるにしても、ひらがなもあればカタカナもあり、気が遠くなるような作業だ。

 

 
そこでまず、このような文字を説明する絵本を買ってみた。導入としては良かったと思う。たまに引っ張り出してきて見ていた。もちろんこれで覚えた文字もあった。
 
一方、この頃、子どもが急激にハマったものがある。上の子はポケモンで、下の子はトーマスだった。
 

 

 
本屋で見つけて離さなかったので、いろんなところで時間が持つかなと思い、軽い気持ちでこのような図鑑を買ったのだが、そこからの集中力がすごかった。常に持ち歩き、暇さえあれば読み、最終的にはページが取れ、あちこちをテープで貼り付けてある状態となった。そして名前を覚えたいがために一生懸命読むことで、あっという間に、カタカナまでほとんど覚えてしまった。
 
つまり、親が勝手に心配し、やきもきして先回りしていろいろするよりも、「推し」の力をかりるのが一番早いということだ。
 
ちなみに子がポケモンにハマっても、トーマスにハマっても、親がその推しを共有しようと思うと、結構地獄である。
 
まずポケモンは数が多すぎる。さらに、ひとつの種類が進化し、名前も見た目も変わる。ヒトカゲリザードになったくらいは「おぉ~」と思ったが、ほとんどのヤツが進化するので追いきれない。さらにそれらがいくつかのタイプに分かれていて、しかもその何タイプが何タイプに強いだの、弱いだのという関係性があり、何タイプとか知らねーよ…という気分になってくる。
 
そしてトーマス。こちらは記憶力も衰えてきた母には、静止画では絶望的に見分けがつかない。色しかヒントがない。私「あっ、これがトーマス?」子「ちがう、これはエドワード!(怒)」という会話を何度繰り返したことか。なんとか覚えて見分けられるようになり、自分がトーマス好きになった頃には、子が既にトーマス卒業を迎えたという悲しい思い出がある。
 
もちろん、ポケモンでも、トーマスでもなくても良いと思う。子どもの初めての「推し」図鑑はぜひ買ってあげて欲しい。